2022年10月16日
Aachener Nachrichten 新聞に載った記事 (ドイツ)
スーパーヒーロー、ゴリラ、キリン、トラ
ベルリンのアーティスト、加藤竜がHeinsberg芸術団体で「破壊の色」展を開催しています。写真:Dettmar FischerHeinsberg-Unterbruch
画家の加藤竜が、Heinsberg芸術団体で「破壊の色」展を開催しています。「私の絵の中では、人類は必ずしも勝者ではない」と、ベルリンを拠点に活動する画家、加藤竜は言う。加藤は現在、Heinsberg芸術団体で「破壊の色」展を開催しています。2メートル×3メートルの絵画「百獣の王」は、Unterbruch のHorster Hof にある芸術団体の2つの展示室の中で最も大きなものです。
「百獣の王」であるライオンは、ほぼ写実的に描かれている。しかし、その雄大な歩みは、よく見ると、突然、隷属する。カウボーイが獣の王に手綱をつけ、乗っている。絵の周囲は、まるで世界が燃え上がっていくかのような、ひどい有様だ。2006年にダニエル・リヒター教授のマスターシューラー(大学院生)としてベルリン芸術大学を卒業した加藤竜は、絵の中に描かれた動物たちに対して、ライオンに乗ったカウボーイをまったくリアルには描いていない。このカウボーイはどこか形が崩れている。もはや多くの西部劇でおなじみの気高いヒーローではなく、どこか怪物的な雰囲気を漂わせている。加藤竜が会話の中で、口、鼻、目の位置を指摘してくれるのも、このキャラクターがあまりにもかわっているからだ。そして、カウボーイブーツと一緒に騎手全体が見えてくる。
この絵には何か終末的なイメージがある。聖書好きなら、ヨハネの黙示録に登場する終末的な騎手を思い浮かべるかもしれません。コミックファンなら、じっくり見れば、この絵も必ず理解できるはずだ。加藤竜は、絵を見る人に解釈を押しつけようとはしない。どのような視点にもその意味がある。見るたびに、「百獣の王」という絵が脅威的に見えてくる。
コロナウイルスも絵の中で浮遊し、やがて騎手に届く。加藤竜は、多くのディテールを用いてその絵を演出している。カウボーイの口は開いていて、そこから煙がでている。パイプラインからでる炎は、ガスの炎のように青色く燃えている。2022年、加藤竜は『百獣の王』を描いた。そして、「世界はまだ救われるのか?」と。
加藤はアーティストであり、予言者ではないので、この質問は絵を見る人それぞれに委ねるしかない。しかし、彼はあくまでポジティブ思考である。1978年新見市生まれの加藤竜の絵の世界には、「赤い海賊」や「お出かけ中の赤ずきんちゃん」というタイトルがあるように、作家のユーモアのセンスも表れている。でも、加藤の描く赤ずきんちゃんには会いたくないと思うだろう。狼さえも逃げてしまう。
Heinsberg芸術団体の見応えのある展覧会を訪れた人は、スーパーヒーロー、ゴリラ、キリン、トラに遭遇するでしょう。加藤竜が「赤い海賊VI」(この題材は作家にとってお気に入りなようで、このシリーズはIXまである)の中で、雄牛とトレロの衝突を、雄牛がトレロを角で宙に舞わせるの様子を連続して描写しているのが印象的である。この絵では、「私の絵では、人々は必ずしも勝者ではない」という加藤の言葉が、極めて明白に表されている。
世界は私に、日常的な環境破壊や人々の自然との関わり方を題材とした絵を描かせ、そしてそれに対し戦わなければならないような気持ちを私に起こさせます。まるで、私の中で自動的なメカニズムが発動して、こうした社会的な課題について絵を描くようにさせるのです。」と加藤竜は言う。どんどん破壊されていると加藤は言う。その大きな引き金となっているのが、かつてないほどの高い知能を持つ人間だという。「新しい地球をつくるために、人類は世界を破壊しているのだろうか」と加藤は問いかける。
彼自身、これらの問いに対し作品の中で明確な答えを出しているわけではない。しかし、「人間による自己中心的な世界の破壊」に対し彼は黙っていたくはない。「私にとってアートは、社会を映し、人々にとって自分自身を映す鏡で、そして人々を反省に導くようなものだと思っています。」と加藤竜は言う。
アーティスト加藤竜の展覧会「破壊の色」は、Heinsberg 芸術団体で11月6日まで、日曜日は11時から17時、土曜日は15時から18時まで無料で鑑賞することができます。加藤竜の手描きによる非常に美しい樹木を描いたエディションが、展覧会にあわせて出版されました。
2022年7月30日
Schwetzinger Zeitung 新聞に載った記事 (ドイツ)
芸術団体で時代の転換期がスタートする
「時代の転換期」が始まった。少なくとも金曜日に市民ホールで始まった、芸術団体主催の同じタイトルのドイツ/日本のアーティスト加藤竜の個展においては。。既に伝えた通り、加藤竜は作品の中で社会的、政治的なテーマを集中的に取り上げている。人間の行為がどのように気候変動を引き起こし、資源を消費しているのか、環境問題に焦点をあてている。
8月16日火曜日まで開催されるこの個展のオープニングでデュッセルドルフのベンゲルシュトラッターギャラリーのオーナー、Werner・Ewest氏がスピーチを行った。Leon Fehrenbacherによるグランドピアノ演奏も披露された。そして最後に、ベルリン在住の加藤竜が来場者に向けて作品について語った。
2022年4月7日
Weinheimer Nachrichten 新聞に載った記事 (ドイツ)
計算が強い感情に出くわす
「動物の王」というたちとるの2x3メートルの作品はフォルクスバンク銀行のギャラリーでの個展のために特別に制作された。口を閉ざされたライオンは、加藤竜が彼の芸術中で表現するメッセージの特性を示す。創造のために壊滅的な結果をもたらしながら、自らを王にした。数多くの賞を受賞し、1998年からベルリンに移り住み制作活動を行うこの43歳になる日本人は、隠すことなく彼の想いを明らかにする。彼の絵画は魅力的名具象と抽象の混合物で、そして鋭い計算が表現豊かな色彩の中で強い感情に出くわす。
内面の葛藤による感情と様々なエネルギーの出会いは、加藤竜の人生の中で早い時期から支配的な役を務めていた。火曜日にヴァインハイムのフォルクスバンク・クルプファルツの新しくデザインされたギャラリーの静かな再オープンが開かれ、美術史家のラインホルト・ヴァインマンとの対談の中で、このアーティストは、子供時代と青年期について語った。彼の父親は少年の加藤竜を囲碁のプロ棋士にさせたかった。彼は東京の囲碁のプロ棋士のもとで何年も囲碁を勉強しなければならず、自然のもとで育った彼は、何百万人もの都市の圧倒的な喧騒に苦しむこととなる。本当のところはは加藤竜は絵を描き、構成し、絵の世界に入り込みたかった。
これが可能になるまで、辛い道のりを要することとなる。今になっても、彼はクロード・モネの絵画を最初に目にした時の奇妙な感覚を忘れていない。「これが私が歩むべき道だとその時心で感じた」と彼は言う。加藤は独学でドローイングの基礎を学び、17歳の時パリでの2週間の滞在で芸術都市の空気に触れ、フランス語、その後ドイツ語を学び、ベルリンへの道を開き、2006年にダニエル・リヒターのもとで大学修士課程を終える。
6月2日の公式オープニングセレモニーを公表したフォルクスバンク銀行の取締役代表のクラウス・シュテックマンと同様に、ヴァインハイム芸術奨励団体の新会長であるゲルハルト・ベルガーは、招待客の前に展覧会オープニングの新しい展示の雰囲気を喜んだ。
5月20日までは、芸術愛好家は加藤竜の絵画で「タイムアウト(休憩)」を取ることができる。これは、主に大作の油彩アクリル絵画24点と、パステル画や鉛筆スケッチの小品を展示する彼の今回の展覧会のタイトルです。彼が大きな面に塗られたグラフィックの側面を、メッセージを語るような現実的な表現と密接に織り交ぜていることは、驚くべきことだ。自然を象徴するライオン、アンティロープ、ヌー、馬、木の純粋なイメージは、不穏で時には脅威的な抽象的な色のトーンを通じて、意味と明確なメッセージを持っている。赤ずきんがかごの中のワインやケーキの代わりに、おばあさんに放射能を持って行ったり、「ブラジルのカウボーイIII」の作品の中の馬が壊された木の切り株を悲しげに見つめ、その背後がすべてが明るく燃えるような火の赤に浸されているのを目にすると、世界のいくつかのことがもはや普通ではないことが明らかになる。加藤竜は、現実のジレンマを想像力豊かな色と形の組み合わせで表現することで、改善に対する希望を維持している。
2021年5月25日
Volksfreund 新聞に載った記事 (ドイツ)
自然と文化の間の戦い
「自然にとっての束の間の休息」と題した個展にて、 日本人アーティストの加藤竜の絵画が展示されている。
「闘牛」写真: Eva-Maria Reuther
Eva-Maria Reuther 記者
「なぜなら、美しいことは恐ろしいことの始まりに他ならないからです」とライナー・マリア・リルケの「ドゥイノの悲哀」にこうあります。 トリーアのヴァルダードルフ宮殿ギャラリーに足を踏み入れた人は、この詩の脅威的な 1文 を思い出すことでしょう。 トリーア・ソサエティ・ファイン・アーツは、「自然にとっての束の間の休息」というタイトルで、日本人アーティストの加藤竜の絵画を二つの展示スペースに展示している。 事前に言っておくと、この国でこれほど切迫した絵画を見たのは久しぶりです。 そして長い間、美は社会的に重要な力を生み出してきませんでした。
一言で言えば、自然と文化との闘い、文明の破壊力と自然の生存のための闘争が、1978年に生まれ、現在ベルリンに住む日本人アーティストの絵画の中に表現されています。 彼は、ベルリン芸術大学でダニエル・リヒターの修士課程の学生でした。 「文化対自然」、 これは歴史と芸術史の中で、度々繰り返されるテーマであり、武力紛争、気候災害の脅威、環境悪化の増加等の問題の中で、今の時代に新しい爆発的な話題性をもたらしています。
しかし、美的表現を通しての文明への批判は、 彼のアートの最も重要な特徴ではありません。 加藤の絵画をとても魅力的なものにしているのは、彼の不吉な主題に対する彼の芸術的アプローチです。 俗に言うと、何かが「ひどく美しい」。 加藤はまた、美を通してひどいことに対する意識を生み出してもいます。 彼の絵画では、知識と感覚に関する理解 が求められます。
この日本の芸術家による絵画は、パワフルな色彩と多層構成の中で、 強烈なサウンドと多彩な色彩を通してオーケストラ化された現象です。
加藤のイメージの世界は、色とシンボルの密集した宇宙であり、そこには引用、
現代世界の現実とメディア世界に対する解釈 が 詰め込まれています。 散々痛めつけられたアフリカの自然は、「政治的怪物」のトランプやブラジルの伐採された熱帯雨林の丸太と同様に引用されています。
一見すると物事の混沌とした混合物のように見えるかもしれませんが、よく見てみると、理性と、混沌を論理的な全体に統合するよく計画された精神が明らかになります。 精神的な厳格さはこの芸術家にとって不可欠であるように思われます。 ご覧のとおり、加藤は故郷の伝統的な囲碁に魅了されています。このゲームには、高度な論理的および戦略的思考と空間的理解が必要です。
そもそも加藤の絵画には東西が見てとれます。 彼の絵画的表現では、現代絵画と伝統的な日本の木版画の美学が組み合わされています。 彼のキャラクターのいくつかは彼らの戦士に似ています。 今回の個展で最も印象的な作品は、加藤の素晴らしい壁を埋め尽くすような「闘牛」の絵です。
この展示会は6月12日まで見ることができます:木曜日は午後5時から午後8時、金曜日は午後3時から午後6時、土曜日は午後4時、電話での登録は0172 9538437です。インターネットの詳細については、gb-kunst.deをご覧ください。
2020年9月9日
Iserlohner Kreisanzeiger 新聞に載った記事 (ドイツ)
新たなスタートを思い切る勇気から
パーク劇場では、加藤竜のアートが発見の旅へと観るものを誘う。
記者 Miram Mandt-Bökelmann
イザロン
Johannes-Josef Jostmann(劇場の主任)は「私たちの劇場が再びオープンすることを心から嬉しく思います。」と語り、ため息とともにこの数か月間のたくさんの想いをうちあけた。劇場の主任そしてそのチームは、長い間衛生コンセプトをもとに準備をし、伝統となったオープニングパーティーのためにも新しい公開時間を試させられることとなり、そしていよいよ開幕となった。
そのような処置にもかかわらず加藤竜のアートには関心が集まった。彼のアートはWerner Geckのピアノ演奏と共に、マスクと消毒液のことを忘れさせるひと時を来客者達に与えた。またギャラリストJutta Bengelsträterの感情のこもった言葉も、同じような効果をもたらした。
ギャラリストJutta Bengelsträterはある問題について語る。
彼女はパーク劇場との友好的な共同企画が今年で25年目にもなることを話し、去年12月初めに起きたKurt-Schumacher-Ring通りでの火災により、住居兼店舗の建物が消失したことも語った。彼女の息子とともに再建することを決めたが、それはとても困難な状況という事だ。工事現場は6か月間もの間、停止させられている。この建物は文化財保護法という問題が絡んでいるのだが、それについて手助けしてくれる市の行政の役員がいないと、Jutta Bengelsträterはこの問題を指摘する。現在選挙活動のため、政治家からも何の援助を得ることもできない。Iserlohnでは火事のために無一文となり、これまでギャラリーだったデュッセルドルフにある建物は住居に改装し、新たなギャラリースペースを見つけなくてはならなくなった。「その時、私と夫はIserlohnに全てを移し、ここに定着するのはどうかと考えた。」とギャラリストは思い返す。この自然豊かで静かな森に囲まれた町は、生活の拠点には最適だと。この個人的な悲しい出来事は、加藤竜の個展「チャンスという意味での災害」に丁度当てはまる。Werner Ewestはベルリンを拠点に活動する41歳の日本人アーティストの作品の中にある、現在の世界規模の流行病との関連性について語る。「私たちは長い間地球を制御したと思っていた。そして満杯となった買い物カートは店から店へと押される。しかし最も重要なこと、私たちはトイレットペーパーを買い付けることができたこと!」この数か月間の結果は、全世界は互いに一つにつながっているという事を示した。「中国で起きたことは自分には関係ないことだ、と私たちに言うことはできなくった。」とEwestは語る。
この複雑な過程を、加藤竜のアートは私たちに示す。環境破壊、経済、消費、戦争、宗教、これらの互いに何らかの関係を持つ要素が、作品の中に現れる。この元Daniel Richterの大学院生は、多くのアーティストの中に埋もれることはない。彼の作品は多彩で、まず最初に目にしたときは抽象でほとんど立体的に見え、そして徐々に具体的な形態が現れてくる。
最大の賞賛、「彼の作品はただ壁に掛けられるためだけのアートではない。彼の作品がつまらなく見えることはなく、常に何かを作品の中に発見することができる。」。
2019年11月21日
nördliche Oberpfalz 新聞に載った記事 (ドイツ)
ぞっとするような童話の時間
加藤竜の絵画では悪役の狼だけが射殺されるわけではない。この日本のアーティストの童話による表現は、肉食獣とその同種の動物をまったくの犠牲者として見るものに注目させる。
Neue Kunstverein Regensburg芸術団体は、彼の現在開催中の個展を「大人のための童話の時間」と題する。この日本人アーティスト加藤竜は、現在レーゲンスブルクに展示されている彼の絵画を、「破壊された美」と表現する。
この二つのキーワードは互いにうまく合っている。まじかで見ると、まず色彩豊かに映る加藤竜の絵画から結晶として現れる、残酷な個々の箇所へと目が留まる。これらはファンタジーの中の勇猛な王子と、救われたお姫様という童話のカテゴリーに確かに分類することができる。もう一方では、様々な種類の童話の中にもでてくる幻滅をも意味する。加藤竜の世界では、これらの要素は特にドラマチックな性格を持つ。それはこの日本人アーティストが作品の中で扱う、全く現実に存在する世界の破壊だからだ。
全体的に加藤竜の絵画は美しく映る。色彩豊かな美は日本の漆器を思わせる。崇高な虎、ライオン、狼、クラッシックでアジア的な芸術の風景等の描写は、しかしながら汚されたものとなる。疑問を抱かせる人類の進歩の成果による功績は、たいていの場合、爆発するように絵の中央に現れる。ライフル銃、ハンバーガー、ドナルド・トランプ等、加藤竜がここで扱う要素は数多くある。
彼の母国日本では、このアーティストは新進気鋭のスターだ。そのためNeue Kunstverein Regensburg芸術団体にとって、展覧会で詰まった加藤竜のスケジュールの中で、今回の展示のための時間を見つけることは大変なことだった。
そしてようやく彼の個展が実現したことを、キュレーターはうれしく思っている。 「加藤竜は私たちの芸術団体のコンセプトに合っている。」と、 芸術団体の副代表者のRenate Haimerl Broschは言う。「社会を映す絵画として、芸術の中の新しい波紋をレーゲンスブルクで人々に見せる。」というのが芸術団体の副代表者と、この芸術団体会員達の今回の個展に対する想いだ。そして加藤竜の非難的な絵画は疑いもなく、今の時代に対応したものだ。残念ながら細部に描かれているものは、純粋なおとぎ話ではないが。。。
加藤竜の絵画は一目見ただけでは、ただ美しいだけに映る。この日本人アーティストは、現在Neue Kunstverein Regensburg芸術団体展示室にて展覧会を開催している。
インフォ:
加藤竜の展覧会「大人のための童話の時間」は、Neue Kunstverein Regensburg芸術団体展示室にて開催されている。住所 Regensburg am Schwanenplatz 4. 木曜、金曜16時から18時まで、土曜、日曜12時から14時まで。
2019年11月18日
südlicher Landkreis 新聞に載った記事 (ドイツ)
もしドナルド・トランプが火を吐いたなら
日本人の加藤竜の絵画の中では、芸術は批判に姿を変える。Neue Kunstverein
Regensburg芸術団体は彼の油彩画をレーゲンスブルク(ドイツ)で公開する。
レーゲンスブルク:
二つの小さな展示室には加藤竜のあふれ出すような大きな油彩画は収まりきらない。それでも彼の作品をレーゲンスブルクで発表することは、Neue Kunstverein芸術団体の功績だ。表現主義だけではなく、ジャクソン・ポロックの偶然性を通り抜けたようにも見える、細部の中に享楽するような色彩のスタッカート。ジャケットのダッパーに、控えめなスタイルのメガネをかける加藤竜が、絵画をまさに言葉にうまく置き換え説明するように、近くから見ると多くのストーリーを絵の中に発見することができる。
この日本人は、彼の絵画をもってして意識的にある特定の伝統を、内容的または形式的にも、日本的あるいはヨーロッパ的にも関連付けるのではないと語る。しかし、彼は私たちの行動のきわめて少数がそれを意識しているとも語る。なぜ彼の中にギザギザ模様が連なるのだろうか?彼にはその理由を知る由もない、なぜならそれはただ単に彼の手から自然と生まれ出てくるものなのだから。めちゃくちゃに見えるようだがそれでも調和のとれた作品を、彼は素早く直感的に創り上げ、しかも造形的な要素と抽象的な要素を素早く見出す。彼の経験からくる背景はあらゆるメディア、あらゆる世界のコミックス、そして何よりも政治的な事件を通して、まさに彼のような批判的なアーティストを生み出す。
絵画は行動の自由を与える
批判と啓発の媒体としての芸術には長い伝統がある。少なくとも強い絵画には、人々は常に「動揺」させられることを期待した。それは現実の中に新たな見方を生み出すこと。そのような芸術の形式と内容は、私たちがどのように世界を見て解釈することができるのか、その方法を示す。しかしながらそれは周知のように、啓蒙の内面に宿る弁証法が、完全に定着し確実なものとなった時に教義的なものとなり、もともとあった思考に反するという作用を生み出す。というのは全ての出来事は多種多様であり、早く変化し、私たちが思うよりもよりフィードバック的だからだ。だからこそ加藤竜はテーゼや説明を人々に伝える代わりに、絵画で表現するのだ。というのも概念より絵画のほうがより一層活動の余地と自由のスペースを持つことができる、と彼は考えるからだ。
トランプは彼の絵画の中に頻繁に現れる。同様に格子模様の目を持った自由の女神、火を噴き、全てを燃やそうとするトランプ。絵の背景には煙突、野生動物がしばしば描かれ、前景の中央には龍、または虎が逃げ出し、そして絵の中から飛び出し、ハイヒールを履いている足も見える。
人物の手足はしばしハサミのようなもの、攻撃的な金属的なものへと変わったり、または線や棒のような形へと姿を変える。つまり抽象的なものとなり、それはまだ明確な輪郭をもたないが、しかしヴィジョンとしてはすでに存在する。そして長く鑑賞していると、遠近が動き出し、絵画の画面は奥行きを感じさせるようになる。するとあたかもこのアートが内面から外に湧き出るように、筆跡に代わってこの画家の個性が姿を現す。
一義的の代わりに多様的に
様々に繰り返される目立った要素、色彩豊かで素早く炎のように吹き荒れ、画面上を走る奇妙なギザギザの線。これらは典型的に絵の中でちらちらと現れる世界情勢、環境をほのめかすものをより強調する。加藤竜は部分的な要素のほとばしり、落ち行くもの、同時に全てを道ずれにするもの、存在するが既に見えなくなってしまったものを描く。
もちろんダニエル・リヒターとの次のような関連性も見て取れる。形態の探求、抽象と具象の間の移行段階のない変化、溢れ出る色彩、集中された構成、社会的政治的な要求。つまり芸術は加藤竜の絵画がそうであるように、一義的ではなく多義的であるべきなのだ。
2018年9月21日
Allgemeine Zeitung Mainz 新聞に載った記事 (ドイツ)
暗いささやきを秘めた溢れかえる色彩
考え直すことへの導き 加藤竜の絵画、フォルクス銀行にて
記者 Mariane Hoffmann
マインツ 19時オープンにもかかわらず、18時を回った時点ですでに最初の訪問者達がマインツ・フォルクス銀行(MVB)の入り口前に並ぶ。今年も毎年定期的にこの銀行で開かれるイベント「文化と経済」の時期がやってきた。 MVBのギャラリー兼講義室に入ると、まさしく溢れかえる色彩に圧倒される。 そして日本出身加藤竜の大きな絵画に魅せられる。
ZDF(ドイツの民間テレビチャンネル)の番組「今日」で知られるニュースキャスター Petra Gersterによる科学的講演に合わせ、そのテーマの補足としてこの日本人アーティストのの作品が展示された。Petra Gersterの講演はニュースの広まり方や、有名な「Fake News」について等と批判的なものだ。講演の題名は「私たちは正確に情報を得ているのか?- Gutenberg(新しい印刷技術の発明者)からZuckerberg (フェイスブック設立者)に至るまでの銀河」。
様々な異なる形の暴力
今回の展覧会のキューレーターの Utz Heinzelmannは、アート・カールスルーエアートフェアでアーティスト加藤竜の数点の大作に注目した。彼の力強い色彩の絵画は人間と環境をテーマとして扱う。キューレーター Heinzelmannは今回のオープニングスピーチで、「加藤竜の作品は鑑賞者に地球の限りある資源について考え直すこと、また自覚した取り扱い方を促す。」と語った。
現在ベルリンに住み活動する加藤竜は、鑑賞者に彼の絵画世界に引き入れようと促す。まず近くの視点からは、武器の標的にされたトラ、カバ、ライオン、そして何度も現れるシロクマ、またデモを行う人々、または避難する人々が目に留まる。そして、この絵画作品の溢れる色彩を形成する荒らしいアクションペインティングの要素は、それらを取り巻く一見すると牧歌的、陽気に見えるような光景を伝えようとする。ところが闘牛を殺そうとする闘牛士といった無意味な動物虐待、そのようなさまざまな表現方法による暴力と恐怖を目の当たりにすると、やはりそれらの見せかけはただの偽りのものだと解る。
トランプ大統領とプーチン大統領の友情関係は、良からぬことを感じさせるという主張からも、このアーティストの政治的要素も見て取れる。
マインツ・フォルクス銀行役員取締役代表の Uwe Awelこの一風変わったイベントにふさわしい言葉「私たちの地域は特別な人々、特別な才能にはちきれそうだ。」と述べる。Petra Gersterと加藤竜は、どのようなものが私たちの地域に文化的人生を与えてくれるのるかを教えてくれる。
2018年9月18日
Lokale Zeitung Mainz 新聞に載った記事 (ドイツ)
正常な民主主義の基礎
Gregor Starrosczyk-Gerlach 2018年9月19日
マインツ
マインツフォルクス銀行代表取締役Uwe Abelは、この盛況なイベント「文化と経済」のオープニングの場で、マインツのMVBフォーラムでの加藤竜の感銘深い個展のオープニングを認識することによって、銀行という概念を超える、この地域の伝統と責任を促進することの意図を強調した。
15回目は、地域経済と芸術の交流のための精神的に活気的なフォーラムを設立しただけでなく、プログラムを通じて強化もした。
この展覧会のキュレーターUtz Heinzelmann がマインツに企画した、日本出身のベルリンのアーティスト展覧会に合わせた、ZDFの番組「今日」のニュースキャスターPetra Gerster による公演「私たちは正確に情報を得ているのか?- Gutenberg(新しい印刷技術の発明者)からZuckerberg(フェイスブックの設立者)に至るまでの銀河」を通し多くの思考的ショックをうけさせられた。
約300名のゲストの前で、彼女はニュースの配信と情報消費の性質を明らかに説明した。金融要素を省略することなく、あらゆる種類の質の高いジャーナリズムに依存するようにと。
彼女の重要な論題: 質の高いジャーナリズムは健全な民主主義の基礎。 偽のニュースの時代には、情報源を明白にするメディアは力をなくし、そして常に違う立場の側に発現させる。
異なる種の責任により象徴され、色彩の強いは加藤竜の作品。この芸術家は、「世界の秩序と無秩序」を自身の描写で現す。
彼の絵は抽象と現実主義の間で揺れ動く強い、時には恐ろしげな引用と形状とともに現れる。 「彼の芸術は、観るものが反省させられるような社会を反映した鏡のようなものだ。」とUtz Heinzelmannは語る。 彼の作品は私たちに考え直させ、この地球の限りある資源を意識することを促す。
「私たちの地域に拠点を置く当社の銀行は、毎年、卓越した人達そしてその卓越した才能をこうして紹介できることを誇りに思っています。」とAbel氏は言う。
この展覧会は、 MVB-Forum, Neubrunnenstraße 2で10月26日まで開催される。開館時間は月曜から金曜、9時から18時まで。
2017年9月
オーストリアのアート雑誌「Vernissage」334号
9月/10月号に載った記事
Ryo Kato America First
ここ最近排ガス不正スキャンダルを、繰り返し多くのメディアで取り上げることで知られるドイツ環境保護団体ベルリンは、「危機にさらされた環境」と題する加藤竜の個展で、彼の作品を2018年の春まで展示している。環境問題に敏感になっている公衆、そしてそのテーマを扱うアート、この二つの対峙にとって今の時代以上にふさわしい時はないであろう。ベルリン在住の画家加藤竜は1978年日本に生まれ、彼の芸術家としての課題は、高まってきた環境問題意識をより刺激することである。彼はダニエル・リヒターのクラスでマイスターシューラー(日本でいう大学院)を取得。抽象と造形が交わるアルベルト・エーレン、または政治的テーマを扱うイェルク・インメンドルフの作品群等が彼に影響を与えた。私たちの地球に起きている破滅、損失、気まぐれな破壊を意味する加藤竜の絵画の陰鬱な題名は、造形的要素と抽象的な要素を何層にもなるブレンドされた彼の優れた色彩、これに対しまったく対照的だ。今回のスパン・コンテンポラリー画廊での加藤の個展タイトル「America first」が示すように、気候変動とその影響を認めたくない西側最大国の大統領が引用されているのに気づかされる。
加藤竜の環境問題に関するアート的取り組みは、衝撃的な福島原発事故からも強く感化されている。「福島の大災害は私のアート的視点と考えに強い影響を与えました。また環境問題について芸術、人々を感化したい。人間、自然、経済、消費、戦争、宗教等の相互関係について人々に考えさせるよう働きかけたい。このような思いから、環境テーマを私の芸術のテーマに取り上げています。」と加藤は語る。
加藤竜は岡山県立美術館主催のI氏賞の大賞受賞者で、この受賞を機に国際的にも名が知られるようになった。
2017年3月28日
雑誌 "Kunst und Wissenschaft"(科学とアート)
に載った記事 (ドイツ)
加藤竜 世界を行く旅人
1978年生まれのベルリンの画家加藤 竜は、作品の中で緊張関係にある人類と環境という広範囲に及ぶテーマに取り組む。一見するとどぎつい印象を与える絵画表現と共に彼は物語を語り、また陰鬱な終末のシナリオを描き、破壊的な人類による自然の扱いといったような時弊を直接的に非難する。この表現に対する欲求は、まず彼の絵画の題名の選択にはっきりと見て取れる。例えば、「人間の底にある悪」、「第4次世界大戦」、「モンスターとの闘い」など。加藤 竜の作品は考えを改めさせ、またはより意識した私たちの地球の限られた資源の扱いを促すための効果的な訴えである。
彼の色彩の強い絵画は、とても満たされた細かな表現と複雑な相互関係、重ね合わせられた表現豊かなモチーフを通し生まれでる。
動物や日常の対象物等の形態は、アイ・キャッチャーとして作用する。そしてその形態は、未知なものとまた抽象的な要素とが交じりあい、馴染みあり知られたものでもある。そのようにして彼は、観覧者を彼の陰鬱で秘密めいた世界に引き込む。
彼の作品には彼の師のダニエル・リヒターからの影響、そして絵画は社会的なものでなくてはならなく、芸術家は観覧者の目を通し物を見なくてはならないという、彼の姿勢の影響も見受けられる。自然と文化の対決、形態と抽象の入れ替わりというやり取りの中で、彼の模範のアルベルト・エーレンの影響も見て取れる。イェルク・イメンドルフからの影響は、政治的な日常の出来事への当てこすり、そしてそのことの絵画的解釈から見て取れる。芸術家としての姿勢を示さなくてはならないという事、社会的な責任をもたなくてはならないという事が加藤竜の自己理解に通ずる。
加藤竜の作品は過去から現在にいたるまで、彼の個人的な経歴を通じて決定的に特徴づけられている。
重要な影響要素は彼が日本出身という事、そして多文化都市のベルリンでアート教育を受けたことだ。彼の作品は、彼の少年期の伝統的な教育と、大人になってからの芸術表現の自由とがなす注目すべき交錯を映し出す。
この画家は、日本固有の特殊な自然とのなつながりというものを感じている。緊迫の場にある人間と環境に対する鋭い考察の深まりは、彼の故国をこの半世紀の間におそった、原子爆弾投下、自然災害、経済危機などにみられる大災害との論争の中だけで終わることはない。
加藤竜は、厳しい科学的な考えの世界と自由な絵画世界の間を行き来する旅人である。子供のころに数学的な才能を発揮し、囲碁のプロ棋士になるためにあるプロ棋士のもとで数年間の修行を通し囲碁を学んだ。彼は、その性質と論理上の様式における数字と抽象的な構造の考察に魅惑される。抽象的な数字の意味だけではなく、算出的な理解、空間的な相互関係の理解、平面と空間の幾何学、そしてまた算式の厳しさも彼を夢中にさせた。
画家としても彼は、描く基盤として明瞭な構造を必要とする。彼は算術の中で数字とその連結を扱う。数字はプロポーションの表現として彼の興味を引く。個々の要素の組み合わせが、何か新たな性質を持つ全体の印象を生み出すとき、芸術表現上で彼は数学へのアナロジーを見出す。
囲碁は、世界のもっとも古い戦術ゲームの一つである。このゲームは大変高度な戦略的、論理的な考えと視覚的な空間的表象感覚を要する。二人の対戦者はそれぞれ黒石、白石を盤上に置き、できるだけ多くの陣地を得ることを目的とする。より多くの盤上の陣地を制圧した者が勝ちとなる。プレーヤーは最後に勝利するために、総合的な盤面、そして全ての局部の部分的陣地も終始視野に入れていなくてはならない。この囲碁を打つのと同様に、アーティスト、そして碁打ちの加藤竜にとってキャンヴァスは盤面となる。多くは一見するとある要素の一端、そして空間的な部分組織を指し示し、互いに相互作用の中にあり、類なき仕方で高度な総合的現象を作り出す。囲碁の複雑性とアルゴリズムに対する親和性は、大変高度なものだ。このゲームのヴァリエーションの数は、チェスのそれよりも超える。もう何年も前からコンピュータプログラムがチェスの大家の実力をしのいでいるのに対し、囲碁のほうではあるソフトがようやく去年、インターナショナルトッププレイヤーに勝利する。それは、自ら発展していく機械の発展上の道標としてみられている。
「人間と自然」のテーマは、アーティスト加藤竜に作品の構成の中に流れ込むような強い感情を引き起こす。彼はアイデアの実行のために、直感と共に科学的傾向のある戦略的思考と計画を利用し、それは並外れた結果を生み出す。ますます大きくなる彼の作品に対する国際的な注目は、数多くの展示とアートフェア参加だけではなく、ダルムシュタット分離派芸術賞、岡山県立美術館の名高い芸術賞受賞にも見て取れる。
加藤竜の個展「終わりなき物語」は、現在ドイツのデュッセルドルフにあるギャラリー・ベンゲルシュトレーターにて5月8日まで開催中。ベルリンにあるドイツ環境保護団体でも、3月29日から来年4月2日まで「危機にさらされた環境」と題して彼の作品を展示される。
投稿記事 Irene Daum
記事の写真 アトリエでの加藤 竜 (写真 Irene Daum)
記事を読むには次のリンクをクリックしてください。
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2016年5月
雑誌 「Kunsttermine」に載った記事 (ドイツ)
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ヨーロッパ外の芸術
展覧会のハイライト
印の魔法から自然の魔法へ。ニュルンベルクのVon & Vonギャラリーは、5月から「アジアのマイスターシューラー」展を披露する。詳しく言うと二人のアジア出身のアーティスト、Yoon Chung Kim (Ottmar Hörl、 Ralph Fleck、 Susanne Kühnのクラスのマイスターシューラー)、そして加藤竜(Daniel Richterのクラスのマイスターシューラー)。加藤竜は人間と自然の関係を主要モチーフとする。しかし彼はこの関係にロマンチックな光景を投げかけるわけではない。そうではなく搾取的、欲望に強調された人間の環境に対する態度をテーマとする。彼の(大半が大きなサイズの)油彩絵画は色彩豊かで、最初に作品を目にする第一印象では晴れやか。そしてよりよく鑑賞すると、やはり自然破壊に対する抗議的な小声がはっきり見て取れる。
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ニュルンベルクのVon & Vonギャラリーは、社会参加と共に多国籍の多くの若いアーティストを扱う。この中にこの二人も含まれる。
2015年4月20日
ハノーファー公共新聞に載った記事 (ドイツ)
とても衝撃を受けた
ダニエル・アレキサンダー・シャハト筆
キャンヴァスに厚く塗られた赤、オレンジ、黄色の絵の具の中で炎がきらめく。
荒い線とどぎつい色彩は、まるで怒鳴りつけるようだ。
それらはそのほかの繊細な色調が、その次にようやく認識されるほどきわだってる。
例えば背景にある線、それはアウシュヴィッツのレールではなく、養鶏場の補給線を表す。あるいは、ケンタッキーフライドチキンのロゴである、微笑むひげを生やした老人を表す筆跡。「苦痛の味」と題した、この加藤竜の作品。
単なる悪趣味によるものだろうか?この表現の大量虐殺というテーマへの近さは、偶然ではないはずだ。
ファルヶンベルクギャラリーに展示された、この90年代からベルリンで活動する日本人の作品を次々に思い浮かべたなら、以下のことに気がつくはずだ。
加藤は、荒い線で、重大な自然と環境破壊、動物と人権水準の侵害について注意を呼び起こすような、挑発的芸術を使いこなす。この個展のタイトル、「新たな敵」とあるように。
加 藤は、積極的に活動する画家だということがわかる。そして、彼のたいてい大きな作品のけたたましい色彩の叫びを横目に、繊細な部分を目にすると、アクショ ンペインティングのけたたましい動作、絵の具の厚塗り、飛び散らし、滴らしの技法、洗練された水彩画の技法、頻繁に幻覚的に変化させられた色彩と共に、写 実に正確に描かれた人物像、彼がこれらの技術を使いこなす優れた技術者だということが見て取れる。
作品「苦痛の味」では、ベルトコンベアーに乗った羽毛をむしりとられた鶏も見える。
雌鳥は心配そうに、ベルトコンベアーに乗ったオスのひよこを見下ろす。
自身の作品にこのような鋭いメッセージを込めたこの芸術家は、農業工業の暗い面にとても衝撃を受けたに違いない。
しかし加藤竜は、これまた同様にとても適切にそれを表現する。
そして彼は、農業経済だけを取り扱うのではない。
その他の作品も同じように、以下のテーマ等を厳しく非難する。たいてい貧しい発展途上国の国民の労働力を、酷使して生産されたバイオ燃料、(作品「とうもろこしの妄想」)。増加する、猛獣狩り、毛皮獣狩り、あるいは気候変動による大災害。
作品「森林破壊連鎖」では更に加藤は、画面の隅にに描かれた「家畜の飼育」、「バイオガソリン」、「肉の消費」らのモチーフの上に、厚く赤い絵の具でバツを引いてそれらを否定する。彼はその表現法により、絵画と主張の混合物を作り出す。
驚 くべきは、加藤の具体的なディレッタンティズムと、卓越した技法の統合だけではなく、この現在36歳、ベルリン国立芸術大学のダニエル・リヒター教授クラ ス大学院生卒業生による、政治的な表現による成功だ。彼はすでに、ヨーロッパからアジアをまたいだ圏内で展覧会を通し作品を発表し、これまでハノーファー 市だけではまだ彼の作品を目にする機会がなかった。
今回ぜひ、ファルケンベルクギャラリーを訪れるべきだ。
インフォ 加藤 竜 「新たな敵」展 5月23日まで、ファルケンベルクギャラリー (ファルケンベルク通り21 A)にて。
2013年2月9日
Iserlohner Kreisanzeiger 新聞に載った記事(ドイツ)
「大食」、「海でのスキャンダル」
ユタ・ベンゲルシュトレターが、日本人アーティスト加藤竜の大きな作品30点を、パーク劇場のギャラリーにて公開する。
このベルリンに住むアーティストは、次の日曜日のオープニングに出席する。
コーネリア・メアケル執筆
イザロン 加藤竜は彼の祖国、日本で大きな芸術賞を受賞し、今年彼にとって初めてとなる美術館での個展が、彼の故郷岡山県で開かれる。
ユタ・ベンゲルシュトレターは、このベルリンに住むアーティストが、すでに数年前から彼女のギャラリーに所属していることをうれしく思っている。
次の日曜日の午前11時にオープニングが始まり、アーティスト加藤竜も出席する。ギャラリー・ベンゲルシュトレターの協力により、イザロンにあるパーク劇場のギャラリーで、加藤の大きな作品30点が展示される。
彼はそのスタイルにおいて、芸術大学在学中の彼の教授だった、ダニエル・リヒターに影響を受けた絵画の中に没頭している、と彼のギャラリスト、ベンゲルシュトレターは言う。
「人間と自然の関係」、そして人間によって破壊された自然が常に彼の絵画の中に現れる。彼の絵画を理解しようと試みる時、まず私たちは写実的に描かれた光景を、彼の絵画の中に見出す。
込み合った絵画構成で加藤は、鑑賞者たちをより明確に鑑賞するよう鼓舞し、そして何かを見出すよう喚起する。その上それを通し、ただ彼の芸術に注意を呼び起こすだけではな く、同時に責任感のある社会について考えさせる。
1978年新見生まれの加藤竜は、彼の芸術大学時代からベルリンに住み、活動している。強烈な彼の絵画のタイトルが示すように、彼はとても政治的なアーティストだ。
激しく、荒々しい彼の絵画世界、「大食」、「海でのスキャンダル」、「ハンターと消費者」、「勝者なき戦い」などと題された作品の中で加藤は、環境汚染、 戦争、消費世界、世界の飢え、この世界のさまざまな国の動物虐待等を公然と非難する。
加藤は多種多様で不気味な絵画宇宙の中で、独特に絡み合った装飾文様の表現の強いモティーフを、生い茂った多様な形状と組み合わせる。
最後の晩餐は、芸術界では有名なモティーフだ。それはただレオナルド・ダヴィンチが、イエスとその弟子たちを彼の絵画の中に描いただけだからでは ない。
加藤の作品での「現代の最後の晩餐」は、G9経済サミット、そして、世界的な環境汚染と飢えと関連を表現している。
まだ人間の手が触れられていない自然風景と、破壊された人間と動物たちの生活圏を、彼は絵画の中で結びつける、「カナダのオイルサンド産業」、 「熱帯雨林での生存競争」、「毛皮女王VSハンター王」、「カバは戦い嫌い」。
展覧会は4月28日まですべての上演時間、1時間前から鑑賞可能。そしてその他の時間帯は、芸術事務所に申し出可能。もつれにもつれた、 加藤の絵画世界が収められた図録あり。
個展会場入場無料。
オープニングではサクソフォン演奏者、チャーリー・ヤンケの演奏あり。
2011年9月28日
Iserlohner Kreisanzeiger 新聞に載った記事 (ドイツ)
「盲目侍が世界を行く」というタイトルで、ベルリンのアーティスト加藤竜の個展が、先週末にギャラリー ベンゲルシュトレーターで開かれた。彼は土曜に開かれたギャラリーでの「Preview」で、ベルリンから来たカメラチームにインタビューを受けた後、日曜のオープニングにも出席した。
彼はインタビューで、特に芸術作品を作り上げる上での感情的な結びつき、そしてその中のそれぞれの詳細が重要だと語っていた。この日訪れた人々は、この個展最初の訪問客となり、そして同時に撮影のエキストラともなった。
この若いアーティストの色彩豊かで、印象の強い作品は11月28日までギャラリーに展示される。
2011年6月22日
Welt 新聞に載った記事 (ドイツ)
アート ナイト
5人のアーティスト、ユーヴァーゼーヴ-ルヴァード通りにて
訪問客は夜中まで、芸術、トーク、ワインと共に楽しんだ。アートウィークという主旨でアート機関 flのJenny Falckenberg、Annika Littmannは、Marlies Wredeと共にハーフェンシティにあるユーヴァーゼーヴ-ルヴァード通りにおいて、実り豊かなアートナイトを企画した。5人のアーティストが、将来事務所予定でまだ内装されていないスペースで、彼らの最新作を展示した。スイス出身の写真家Bruno Bisangは、Carla Brun、Monika Belluci、Naomi Campbellをモティーフにした彼の初めてのポロライド作品を発表した。芸術的、疎外的、抽象的な作品群は、キール出身でハンブル存住の写真家Malte Muthesiusの作品。Michael Polizahaは風景、動物の大きな写真作品を展示する。 Audi Art Award を始めとする多くの賞を受賞し、脚本家、監督として多くの賞を受賞したFranziska Stünkelの注目すべき映像作品。ギャラリストのAnne Moerchenは、今回で2度目になるベルリン存住の日本人アーティスト、加藤竜の作品を紹介する。彼はダニエル・リヒターのクラスでマイスターシューラー(日本の芸術大学院に相当)を取得し、人類の自然に対する搾取をテーマとする。
2010年11月19日
Live 新聞に載った記事 (ドイツ)
災害と戦う絵画
ダニエル・リヒターのクラスの卒業生がギャラリー・アンネ・メアヒェンにて展示。
「芸 術は 繰り返し戒め、追求し、奮い起こし、突き動かさなくてはならない。」と加藤竜は言う。そして彼は、人類の自然搾取が引き起こす、オイ ル汚染やその他の環境 破壊に対する戦いからインスピレーションを得て描く。彼の師ダニエル・リヒターのスタイルが、1978年生まれ、日本出身で現在12 年間ベルリンに住むこ の芸術家に影響を与えた。「原子の嘘」、「中国の砂嵐」等の題名がつけられた加藤の作品では、形態と色彩が飛び交い、具象と抽象が時 折溢れかえった色彩の 風景の中で戦い合う。
1月 22日までギャラリー・アンネ・メアヒェンにて展示。
無 題、圧倒的なこの作品を加藤竜は今年、キャ ンバス に油彩で制作した。現物は120X160cmの大 きさ。
2010年3月
Odenwaldkreis 新聞に載った記事 (ドイツ)
印象 深い絵画展が現在ミッシェルシュッタット市のギャラリー・カオチュを開かれて いる。ベルリンに住む日本人、加藤竜の個展を開くことによって、オーデンヴァルドの文化シーンに貢献する オーナーのヴェロニカ・カオチュ。
も し日本が彼にとって小さ過ぎたな ら
芸術 家の感知 - 加 藤竜がミッシェルシュッタット 市(ドイ ツ)で個 展を開き、今そこで発揮され る、彼の熟練した技巧を獲得したベルリンについて熱を込めて語る。
ミッシェルシュッタット市、 新見、パリ、ベルリン、ミッシェルシュッタト市。マオアー通り9-11にあるギャラリー・カオチュが、この 若いアジアの芸術家に個展の場を提供したことによ り、彼の日本の故郷、二つの大都会の後にミッシェルシュッタットが続く。
1978 年日本の西南に生まれ、1995年から1998年までデッサンと絵画を岡山県の高校と画塾 で学ぶ。すでにこの時に賞賛され、日本全国規模の芸術文化賞を受賞し、1998年にパリに移る。モネの絵画が彼を夢中にさせ た。しかしもはやフランスの首都ではなく、ベルリンがこの日本人のヨーロッパでの故郷となる。2001年にベルリン国立芸術大学 に入学し、2006年に卒業する。まずヴォルフガンク・ペトリック教授の下で、その後ダニエル・リヒター教授の下で、彼の芸術が 成熟する。
土曜 日に彼は、「日本は自分にとって小さ過ぎるように感る。」と語っていた。彼は日本に居た時大陸へ の憧れを持ち、よその文化を知りたいと願うようになったそうだ。彼は都市として、ベルリンが一番ゆったりと感じている。この都市は自由を楽しめ、多くの芸術家を 引き付け、また多くのギャラリーもこの都市へと移ってくる、と加藤竜は語る。
ミッ シェルシュッタット に展示された彼の大きな作品の題名は、「美食家のためのゴリ ラ」、「希望なき戦 い」、「人間と自然」等。ギャラリーのオーナーのヴェロニカ・カオチュは挨拶で、「彼の絵画では、鑑賞者はまず絵の中でモチーフ を探さなくてはならない。」とコメントしていた。彼の絵画には、まずポジティブなエネルギーの発散を感じる。4月10日まで興味のある方は、それぞれが自 分の目でこの加藤の絵画に新しい発見を見ることができる。この個展と同時に、3月3日から7日まで、アートフェア「アー トカールスルーエ」にも作品が展示されている。
2009年6月22日
Westdeutsche Zeitung 新聞に載った記事 (ドイツ)
ギャラリーの中での爽快な夏
ヘルガ・マイスター
芸術に休暇はない。そのことをこのツアーは新たな傾向を通じて感じさせる。新たなギャラリーが加わり続けていて、 経済の停滞、または休暇の雰囲気はまったく感じさせない。ここにいくつかのおすすめを紹介する。
加藤竜、スターアーティストのダニエル・リヒターのマイスターシューラーで、最初の印象では彼らの間にいくつかの共通点を感じさせられる。彼の師(ダニエル・リヒター)は彼の元生徒(加藤竜)のように世界を批判する。しかし加藤は過激なのモチーフを好む。吐く猫、毛皮となったヒョウ、火薬庫に座る、または破壊された森を歩く猿、悪魔、マスク、亡霊、アポカリティスティックなジョッキーのない馬が行くシーン。 血なまぐさい本、串刺しのハンバーガー、煙が立ち上る工業の残骸、砂浜に打ち上げられた鳥なども、この爆発的な絵画の中に現れる。
ギャラリーベンゲルシュトレーター
2009年8月30日
Rheinische Post 新聞に載った記事 (ドイツ)
加 藤竜のキャンバスの中のジャングル
クラ オス・セバスチャン
加藤 竜はベルリンでダニエル・リヒターのもとで学んだ、若い日本人の斬新な画家だ。彼の画法は感性に訴える表現で斬新。現在ギャラリー・ベン ゲルシュトレターに展 示された絵画の構成は、それでもやはりよく計算されていることが見て取れる。その大半が大きなサイズの作品のために、彼は色彩を使った下絵を描く。怒りと力を込めて筆を操る。そ れにもかかわ らず大きな画面全体は、混乱で終わることはない。
社会 における様々な弊害が、1978年岡山県生まれのこの芸術家を激怒させる。石油タンカー事故、大気汚 染、熱帯雨林破壊などが彼のテーマで、そしてこれらのテーマが暗号化された形態となって彼の絵画に現れる。加藤は、現代のテーマとそ の 内容を訴える絵画を確立するために戦う。しかしながら、「挿絵的に表現する」という罠にははまっていない。いくつのモ チーフの中に、そういった問題の部分をおぼろげに見てとれるが、しかし彼の絵画は決して説明的、または一義的には感じられな い。鑑賞者は、うっそうとした彼の絵画のジャングルの中にそれぞれの視点を切り開かなくてはならない。
色彩 と形態がキャンバスの中で氾濫し、網目形になることによって謎めいた捜し絵になり、それ は視覚の混沌を 繰り広げ、そして離れて見ると、それは多彩なユーゲント様式 の装飾を思い起こさせ る。加藤竜の典型的なものは、奇妙に曲がりくねった線。筆は暗い傷跡、または縫い跡として不気味な現象を一時的に一つにまとめあげ る、感情の痕跡をキャンバスに残す。
弱冠 19歳にしてすでにパリに移り住み、印象派の画家たちを敬愛した。だがベルリンにて初めて、彼の思い 描いた創造的な空気を見つける。2006年にベルリン国立芸術大学のダニエル・リヒター教授のもとで、マイスターシューラー(大学 院)を終 了する。今回の個展のタイトルは 「大漁」。それはまさにその通りで、全ての多彩な色彩とモチーフは、絵の中でもがき互いに押し合う。それはまさしく漁網の中の豊富な 収獲の様だ。
2003年5月2日
Welt 新聞に載った記事 (ドイツ)
ギャラリー アート&ヘンレでの発見
あるとても若い芸術家がこのギャラリーでデビューした。1978年 生まれの日本人、加藤竜。彼は1999年にベルリンに移住し、2001年からベルリン国立芸術大学(UDK)のヴォルフガンク・ペトリック教授のク ラスに在籍、そして在学半ばにして彼の初個展が開かれた。この個展では、17の大きな寸法の絵画作品が見られる。これらの作 品は一見して、この若者の怒り、憤りが描かれているのが見受けられる。戦争、そしてその被害に対する嫌悪、絶望、そして石油汚染、洪 水、枯れ果てた森林、地獄のような都市。彼は新鮮で大胆で、扇動的な 要素をファンタスティックで 詩的な表現と結びつける。この彼の試みは、今後の彼の発展を期待させる。作品の値段、900から2400ユーロ、5月 17日まで。
ウルリッヒ・フォン・デルツシェン